勢いだけの国民投票ではサイコロを振るのと同じ 求められるのは「理の政治」
勢いだけの国民投票ではサイコロを振るのと同じ 求められるのは「理の政治」
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石川健治氏=木下訓明撮影
憲法学者の石川健治・東京大教授は、毎日新聞政治プレミアの取材に応じた。
「勢いだけで国民投票に持ち込めば、国民にサイコロを振らせるのも同然となり、仮に改憲が成立しても、国民的基盤を得て定着することは難しい」と語った。
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近時の憲法審査会は、とりあえず多数の賛成を得られそうな争点に絞った上で、いつ審議を打ち切り多数決による見切り発車に切り替えるか、という「日程の政治」へ移行している気配がある。
憲法改正プロセスにおいて、現状では審査会だけが、唯一「数の力」ではなく「理の政治」に徹し得る合議体だ。そこで担保された「理」が、国民が納得ずくで選択するための前提条件になる。この点が不十分なまま、勢いだけで国民投票に持ち込めば、国民にサイコロを振らせるのも同然となり、仮に改憲が成立しても、国民的基盤を得て定着することは難しい。
世界史上成功した憲法会議は、みな「理の政治」に徹し、意見が割れていなかった。立憲主義は、異質な他者との共存の思想だからである。現行憲法の場合も、1946年の帝国議会で高い水準の議論を経た上で、圧倒的多数により可決された。
◇ナショナリズムの応援のない憲法
日本は、明治維新以来、新政府の政治組織を記した「政体書」をはじめ、何度も実質的に憲法を作り直したが、どれも全く定着しなかった。政府内外で数多くの憲法草案が書かれたなかで、大日本帝国憲法の起草を担当した伊藤博文らのチームが優れていたのは、他のチームが条文を書くことに熱中していたのに対し、憲法を定着させるという問題意識をもっていたことだった。
君主と臣民の間に介在した、幕藩体制という中間権力を破壊するためのテコとして機能した「天皇」を、新しい憲法の国民的基盤を創設するために活用した。
これに対して現行憲法は、起草過程における連合国軍総司令部(GHQ)の介入という事実が制定後に明らかになったことによって、民定憲法の基盤であるはずのナショナリズムの応援を期待できなくなった。戦後の自主憲法制定の動きには、とにもかくにも国民投票を一度経験して、失われたナショナリズムの「力」を、再び調達しようという考え方が含まれていた。
にもかかわらず、基盤が弱いはずの新憲法が、実際には戦後社会に定着することに成功した。それは、国民自らが制定したという理由付けとは異なる「理」によって、憲法が国民的基盤を得ているということだ。この意味を重く見て、その要因を深く検証する必要がある。
とりわけ、ナショナリズムの制御は非常に厄介で、「数の力」が暴走して「理の政治」を困難にした例は少なくない。事前の十分な検討なしに国民投票に突き進み、投票後になって結果を問題視する世論が強まった英国の欧州連合(EU)離脱=ブレグジット=は、記憶に新しい。何でもよいから、実現可能性の高い争点で国民投票にこぎつけようという「お試し改憲」論は、現行憲法の基盤をナショナリズムの力で破壊することにつながる可能性がある。
憲法審査会では、現在、緊急事態条項について論点整理が進んでいる。しかし、既に現行憲法には、戦前における天皇の緊急勅令に代わる、参院の緊急集会(54条2、3項)の制度が用意されている。GHQが、13条ほかの「公共の福祉」条項を根拠に、十分緊急対応ができると考えていたにもかかわらず、日本側の発案で新設されたものだ。
もし本気で緊急事態を心配するのなら、緊急集会をいかに実効化できるかを議論するのが先決であり、それを後回しにする今の議論の仕方は、改憲の動機が実は緊急対応にはなく「お試し改憲」にあることを、自白しているようなものだろう。
◇立憲主義は共存の思想
いま日本を含めた世界中で、戦争の思想・闘争の言説が優勢になっている。身近な社会における経済的・政治的な分断や、国際社会におけるロシアのウクライナ侵略や米中対立が、それをあおっている。安保3文書における「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の追求も、異質な他者を「敵」認定して、存在ごと抹殺するテロリズムの横行も、すべて地続きの出来事だ。
これに対して、立憲主義は、他者の排除ではなく、共存の思想だ。けれども、現状は、「憲法」という言葉が党派性を帯び過ぎて、憲法という政治的象徴を排除しようとする人たちと、それを独占しようとする人たちとの、衝突の様相である。そうではなく、価値観の異なる相手とも共存するためのルールの再構築こそが、まさに「憲法を議論する」ということだ。
前身の衆院憲法調査会で初代会長を務めた故・中山太郎元外相は、改憲派であったにもかかわらず、会派の所属議員数にかかわらず発言機会を平等に確保するなど、丁寧な運営を心がけた。
この「中山方式」が、その後の審査会でも維持されてきたために、「数の力」が支配的な現在の政治過程において、ここでだけは「理の政治」が例外的に担保されてきた。最後まで理屈で議論を尽くすことで、国民の納得を調達できるように努めなくてはならない。【聞き手・木下訓明】
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