世襲議員が多いということは、誰もが漠然と感じているだろう。
いまの総理大臣、岸田文雄も世襲の三代目である。
その前の菅義偉は、「世襲政治家ではない」ことがセールスポイントのひとつだった。つまり「非世襲」は自民党では珍しい。
さらに前の安倍晋三は、世襲の三代目、しかも、父方・母方双方の祖父が政治家だった。
そこで、戦後の総理大臣全員について調べ、『世襲 政治・企業・歌舞伎』(幻冬舎新書)にまとめてみた。
戦後の総理は75%が世襲政治家
現在の憲法のもとでの最初の総理大臣は吉田茂で、岸田文雄まで33人の総理がいる(戦後の首相だが、東久邇宮稔彦王と幣原喜重郎は明治憲法の下での総理なので除外)。
そのなかで、2親等内の親族(祖父母、父母、兄弟姉妹・子・孫)が国会議員の政治家は何人いるか。
実に、25人なのだ。33人中の25人、つまり、4人に3人が、親族も国家議員なのだ。
親族に国会議員がいないのは、就任順に、片山哲(社会党)、石橋湛山、海部俊樹、村山富市(社会党)、森喜朗、菅直人(民主党)、野田佳彦(民主党)、菅義偉の8人しかいない。うち、4人は自民党ではない。
政治家の子・孫だった総理大臣
さらに細かく見ていこう。
33人の総理大臣のうち、父も総理大臣なのは、福田康夫(福田赳夫の子)。
祖父が総理大臣だったのは、細川護熙(近衛文麿の女系の孫)、安倍晋三(岸信介の女系の孫)、麻生太郎(吉田茂の女系の孫)、鳩山由紀夫(鳩山一郎の男系の孫)の4人。なぜか女系が多い。
では、父が国会議員だったのは何人いるか。( )が父の名だ。
吉田茂(竹内綱)、芦田均(芦田鹿之助)、鳩山一郎(鳩山和夫)、宮澤喜一(宮澤裕)、羽田孜(羽田武嗣郎)、橋本龍太郎(橋下龍伍)、小渕恵三(小渕光平)、小泉純一郎(小泉純也)、安倍晋三(安倍晋太郎)、福田康夫(福田赳夫)、麻生太郎(麻生太賀吉)、鳩山由紀夫(鳩山威一郎)、岸田文雄(岸田文武)の12人。
このうち、祖父も国会議員だったのは、小泉純一郎(小泉又次郎)、安倍晋三(安倍寛)、麻生太郎(麻生太吉)、鳩山由紀夫(鳩山和夫)で、彼等は男系男子の三代目でもある。
子や孫を政治家にした総理大臣
次に下の世代を見てみよう。
自分の子や孫、弟が国会議員になった総理大臣は、
吉田茂(孫が麻生太郎)、鳩山一郎(子が鳩山威一郎、孫が鳩山由紀夫と鳩山邦夫)、佐藤栄作(子が佐藤信二、その女婿が阿達雅史)、田中角栄(子が田中眞紀子)、三木武夫(子が高橋紀世子)、福田赳夫(子が福田康夫、孫が福田達夫)、鈴木善幸(子が鈴木俊一)、中曽根康弘(子が中曽根弘文、孫が中曽根康夫)、羽田孜(子が羽田雄一郎と羽田次郎)、橋本龍太郎(子が橋下岳)、小渕恵三(子が小渕優子)、小泉純一郎(子が小泉進次郎)、福田康夫(子が福田達夫)
以上、13人。
さらに、子ではないが娘の夫が国会議員になったのは、
吉田茂(麻生太賀吉)、岸信介(安倍晋太郎)、池田勇人(池田行彦、婿養子、その女婿が寺田稔)、田中角栄(田中直紀、婿養子)、福田赳夫(越智道雄、その子・越智康隆も国会議員)、大平正芳(森田一)、鈴木善幸(麻生太郎)、宇野宗佑(宇野治、婿養子)
の7人。
弟が国会議員になったのは、
岸信介(佐藤栄作)、福田赳夫(福田宏一)、竹下登(竹下亘)、安倍晋三(岸信夫)、麻生太郎(妹の夫が鈴木俊一)、鳩山由紀夫(鳩山邦夫)
の6人。
重なる人もいるので、整理すると、自分よりも下に国会議員がいる総理大臣経験者は、22人いる。
自分は政治家として初代だった総理大臣経験者も大半が子や弟を政治家にしているのだ。
岳父(妻の父)が国会議員だったのが、鳩山一郎(寺田栄の女婿)、池田勇人(廣澤金次郎の女婿)、三木武夫(森矗昶の女婿)、麻生太郎(鈴木善幸の女婿)の4人。
このうち、鳩山一郎と麻生太郎は、実の父と妻の父の両方が国会議員だった。
麻生太郎は、母方の祖父(吉田茂)と妻の父(鈴木善幸)が総理大臣である。
父は国会議員ではないが、祖父が国会議員だったのが細川護熙、兄が国会議員だったのが佐藤栄作。
以上16人が、自分よりも上に、国会議員がいる。
選挙区を継いでいない人もいるので、全員がいわゆる世襲議員というわけではないが、33人中16人、つまり半分が、「国会議員の子や孫や弟」として、国会議員になり総理大臣になった。
昭和の総理大臣は叩き上げ
こうした世襲は、いつから本格化したのか。
33人のうち、竹下登までが昭和の総理大臣で、15人。
昭和の総理大臣で、二世議員は、吉田茂、芦田均、鳩山一郎だけだ。このうち、吉田と芦田は父が亡くなってから数十年後にその選挙区から立候補しているので、地盤を継いだかどうかは微妙だ。
父の没後すぐに同じ選挙区から出て国会議員になったのは鳩山一郎だけである。
池田勇人、三木武夫は妻の父が国会議員だが、選挙区は継いでいない。三木は結婚する前にすでに議員に当選している。
佐藤栄作は岸信介の弟だが、同じ選挙区で競い合っており、地盤を継いだわけではなく、むしろ奪い合っている。
したがって、昭和の総理大臣は、実質的には「初代」ばかりだった。みな叩き上げというか、這い上がって総理大臣にまで登り詰めた。人間として迫力があったはずである。
だが、彼らの多くが、自分は叩き上げで頑張ったのに、子に世襲させてしまう。
平成・令和の総理大臣は世襲だらけ
時代が平成になると、一気に二世議員、三世議員が総理大臣の時代になる。
18人のうち、11人が父あるいは祖父が政治家である。
「世襲は昔から」というイメージがあるが、政界においては、最近のほうが多いのだ。
敗戦によって、日本社会はいったんリセットされたので、戦前からの政治家のかなりが淘汰されたのだろう。そのため、昭和の時代は、世襲政治家はむしろ少なかった。
その昭和戦後に政治家になった人たちが、自分の子に継がせるようになり、その子どもたちが政治家として大臣適齢期、総理大臣候補となったのが平成ということだ。
平成の総理で二世・三世議員は、宮澤喜一、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、安倍晋三、麻生太郎、鳩山由紀夫。
そのうち、羽田、橋下、小渕、小泉は、父が亡くなったので、その選挙区からの要請で、政治家になっている。それまでは政治家になるつもりはなかったのである。
総理大臣にはならなかったが、ある時期、実質的に政界を支配していた小沢一郎も、世襲議員だ。
彼らは、子どものころから、「僕はお父さんの後を継ぐんだ」という感じで育ったわけではない。したがって、政治家としての英才教育は受けていない。
「総理の学歴」の劣化
東大を出ていれば偉いというわけではないが、歴代総理33人のうち、10人が東大卒である。
だが、そのうち8人(吉田茂、片山哲、芦田均、鳩山一郎、岸信介、佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘)が昭和の総理で、平成は宮澤喜一と鳩山由紀夫の2人しかいない。
ちなみに、宮澤喜一まではみな東京帝国大学法学部で、鳩山由紀夫だけが東大の理系の学部だ。
「総理の学歴」は明らかに劣化している。
これは、日本政治が劣化している象徴といえるだろう。
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