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2021年5月21日 (金)

コロナ禍のもとで障がい者、高齢者の命が軽視され、「命の選別」が進んでいる(下)


コロナ禍のもとで障がい者、高齢者の命が軽視され、「命の選別」が進んでいる

選別を止め、生きられる社会をつくるために声を上げるふたりの訴え

松下秀雄 「論座」編集長



年齢、障がい、持病……属性で選別するのは「優生政策」

 古賀)年齢や持病、障がいの有無のような属性によって命を選別するのは、広い意味での優生政策だと思います。

 優生政策は「不良な子孫が生まれるのを防ぐ」とか、生まれる時の話として語られてきましたが、ナチスは「断種」に加えて「安楽死」と称して殺害することにまで手を染め、これも優生政策と呼ばれました。妄想で終わることを祈りますが、障がい児施設にまでDNARを確認させようとする現状をみると、社会がもう一回転、悪い方向に進んだ時に、どんなことが起こるのか。嫌な感覚をもちますね。

 【注】 ヒトラーは、治る見込みのない患者を殺害する権限を、指定された医師たちに与えるという命令を発出。この「T4作戦」で、精神や身体に障がいのある人や病人などが「生きるに値しない命」とみなされ、ガス室などで殺された。殺害の対象はさらに広がり、ユダヤ人やロマ人、同性愛者など様々な人たちに対する虐殺につながった。
 【注】 田中良・杉並区長は3月5日の区議会予算特別委員会で、「私の問題提起が優生思想を内包しているというように、一方的に決めつけて、レッテルを貼って批判するのは違う。私の考えはそれとは違う」と答弁した。

 


障がいのある人たちを虐殺したガス室が保存されている精神科病院=1998年、ドイツ・ハダマー拡大障がいのある人たちを虐殺したガス室が保存されている精神科病院=1998年、ドイツ・ハダマー

 

苦しさを強調するのは危険、「治療しない」に誘導する

 松下)杉並区長は文春オンラインのインタビューで、「特に高齢者の場合、どこまで『治療』してほしいのか、あらかじめ意思を示しておきたい人がいるかもしれません」ともいっています。でも、「意思」はそう簡単には定まらない。その人の耳にどんな情報が入るかによっても、「意思」が変わりそうな気がします。

 古賀)区長は3月5日の区議会で、朝日新聞の記事を引用しながら、人工呼吸器や胃ろうで挿管するのは患者さんに苦痛を与える、といっていました。記事にも、人工呼吸器をつけるために気管を切開すれば話せなくなると書いてある。だけど、コロナ感染の場合は一時的なものですから、もう一回縫い合わせれば声は出るんです。マイナスイメージを与える報道も、患者さんが治療を選択しない方向に導いてしまう可能性があるので、気をつけていただかなきゃいけない。

 「尊厳死」を推進する人はよく、「人工呼吸器をつけたり、胃ろうをしたりするのは苦しい」という言い方をします。でも、そうやって生活している障がい者はけっこういる。人工呼吸器をつけて「学校に行きたい」といっている障がい児もいるし、胃ろうで体力が回復したらまた口から食べられるようになる人もいます。そういうことを無視して、「そんなものをつけると苦しい」と宣伝するのは危険です。

「死にたい」といったら「ああそうですか」という社会

 


鷹林茂男さん拡大鷹林茂男さん

 鷹林)いまの社会でどういう「自己決定」をできるかというと、死を選ぶくらいしかない。「もうこれだけ生きたんだから、若い者にゆずらなくちゃ」といわれたり、家族の中でも邪魔にされたり。家族という小さな社会でも、国全体でも、いろんな圧力がかぶさってきて、そのもとで死を選ばざるを得なくなる。そんな「自己決定」でいいのかと問うていくことが必要じゃないでしょうか。

 

 古賀)親の介助とか、いろんな重荷を背負ってきた人が、「自分の子どもたちにはそういう苦労をかけたくない」と死を選ぶこともあるでしょう。でも、それは現状を良い方向に向かわせないと思うんですね。

 松下)公助を充実することもふくめ、しっかりと支え合う社会をつくれれば、家族に過重な負担をかけずに済む。ほんとうは、自分と同じ思いを子どもにさせずに済む社会をつくることもできるはずなんですよね。

 古賀)私はあんま鍼灸師ですが、高齢の人を治療していると、「もう自分は死んでもいい。長生きなんてしなくてもいい」なんておっしゃる。聞いていると、苦労されているんです。「せっかく生きてきたんだから、楽しんでくださいよ」というんですけど。

 私はやっぱり、どういう状態であっても「一緒に生きていこうよ」といえないのは変な社会だと思うんです。「死にたい」といったら「ああそうですか」という社会って、おかしな社会だと思うんですね。

 日本国憲法をみても、個人として尊重されることや、生命に対する権利、幸福追求の権利は最大限尊重されなければならないと書かれているわけです。それを文字通り実現することが、日本だけではなく、人類にとって重要なんじゃないでしょうか。

 【注】 日本国憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

戦争に役立つ人を救った「トリアージ」

 松下)「トリアージ」は野戦病院で始まり、戦線に復帰できる者を優先して治療するようになっていったと聞きます。戦争の時代には、「国家のために戦えるかどうか」が人の価値を測る基準になりました。いまも健康で働ける人の治療が優先され、高齢者や障がいのある人が後回しにされているとすれば、「国家のために役立つかどうか」で人の価値を測る風潮がいまなお残っているということかもしれません。

 古賀)はい。

 


参院文教科学委員会で、文字盤を使用して介助者(中央)に質問を伝えるれいわ新選組の舩後靖彦氏=2019年11月7日拡大参院文教科学委員会で、文字盤を使用して介助者(中央)に質問を伝えるれいわ新選組の舩後靖彦氏=2019年11月7日

 松下)しかし、たとえば筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者である舩後靖彦さんは、同じALS患者のピアサポートにとりくむことで、体が動かなくても人の役に立てることに気づいた。その延長線上で、いまは参院議員として、障がいがあっても、高齢であっても、生きやすい社会をつくろうととりくんでいます。

 

 ほんとうはどんな状況であれ、社会の役に立てるはず。それなのに私自身、動けなくなったり、胃ろうをしたりするのはかわいそうだと感じるし、その先に「早く死なせてあげたほうがいいんじゃないか」と考える人まで出てきてしまう。どうしたら、そんな価値観を変えていけるのでしょうか。

「人間」をどう捉えるか……気づきを押し流しかねない「コロナの大波」

 古賀)人間の捉え方を転換しなきゃならないように思いますね。動けること、働けることを第一の価値としてきた方が動けなくなった時の精神的ダメージはすごく大きいと思います。でも、それを自分の人生経験として、若者や、同じように動けなくなった人と語り合う中で、人生は豊かになっていく。動けなくなった人と一緒に過ごすことも、大きな糧になる。そういうことを失った人間社会は貧困だし、若者も安心して人生を送れなくなる。動ける人、動けない人、いろんな人がいて協力していかないと、蹴落とし合う社会が続いてしまう。

 鷹林)どこか、気がついてきているとも思うんですけどね。木村英子さんや舩後さんが当選した参院選の人の集まり方はすごかった。共感するものがあったから、引きつけられたんだと思うんです。ただ、今回のコロナは、そういう気づきを大波で流してしまいかねない危険性がありますね。

生きるために、声を上げなければ

 松下)「命の選別」の背景には、高齢化と国の財政の悪化が進み、医療費をふくむ社会保障費の抑制が続いてきたことも影響しているようにみえます。

 古賀)コロナ感染下の命の選別について、「新楢山節考だ」とたとえた人もいます。1990年代以降、とくに21世紀に入ってから、命を選別しようという国レベルの動きが緊縮財政と一体で強まってきた気がしますね。もう一方では障がい者が運動し、施設ではなく地域で自立して生活できるよう、必要な介助時間を確保してきた面もありますが。

 【注】 『楢山節考』 老人を山に捨てる因習のある貧しい村で、山にいこうとする年老いた母とその子を描いた深沢七郎氏の小説と、同名の映画。

 松下)これからの時代、黙っていたら、生きていくための条件がどんどん損なわれるかもしれません。それだけに、障がいのある人たちが声を上げて闘い、一歩ずつ権利をかちとっていった歴史を振り返って、声を上げることの大切さを感じます。おふたりが障がい者運動に足を踏み入れたきっかけは?

 古賀)私は高校生だったのは70年代中盤で、ほとんどの駅に点字ブロックも何もない時代でした。転落して死ぬ方は、いまよりもっと多かったと思いますし、みんないろんな転落の経験をなさっている。

 そういう中で、転落した方が当時の国鉄を訴えた裁判があって、盲学校の社会科見学で傍聴につれていってもらったんです。それまで私は、障がい者は何かを主張するんじゃなくて、この社会に適応しなきゃいけないと考えていたんですが、「どうも適応するだけでは生きていけなさそうだぞ」と感じて、自分たちで駅の調査をしたりしたことが最初だったと思います。

 鷹林)ぼくも何回かホームから落ちています。盲学校でアンケートをとったら、通学生の半数以上がホームから落ちた経験をもっていました。そこで72年か73年くらいに、目白駅と掛け合って、足で踏むと感じることができるテープを貼ってもらいました。必死になって声を上げただけではなく、何人もの方が転落して列車にひかれる犠牲があって、点字ブロックが一般化していったんです。それでも転落が続き、ホームドアをつけようということになってきました。

 松下)そういう積み重ねのうえに、今回もまた、「生きられる社会」をつくるために声を上げているのですね。コロナの大波に流され、社会が暗転しないよう、私も願っています。ありがとうございました。

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