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2021年4月13日 (火)

ジャーナリズムの衰退を象徴する『朝日新聞』特別報道部の廃止

ジャーナリズムの衰退を象徴する『朝日新聞』特別報道部の廃止――調査報道は「文春砲」「赤旗」に任せた?

 

 『朝日新聞』の特別報道部が今春、3月末で廃止された。『朝日』特報部は2011年3月11日の東日本大震災で起きた福島第一原発事故をめぐる調査報道でスクープを連発、長期連載記事「プロメティウスの罠」は9冊の単行本にもなった。その特報部でかつてデスクを務めた鮫島浩記者が自身のブログ「SAMEJIMA TIMES」で「特別報道部の終幕」を明らかにし、自身も5月末で退社すると公表した。「文春砲」が毎週のように永田町を震撼させる中、粘り強い調査報道で一時代を築いた『朝日』特報部の廃止は、日本のジャーナリズムの衰退を象徴する残念なニュースだ。

●「脱ポチ宣言」を掲げた初代・特別報道部長

 『朝日』特報部が正式に発足したのは2011年10月。約10人で活動していた「特別報道チーム」(2006年設置)が「3・11」を機に部に昇格し、部員も約30人に拡充された。

 その初代部長・依光隆明記者は、元『高知新聞』社会部長。2001年、同和利権に絡む高知県庁の不正融資を暴く長期連載「黒い陽炎――県闇融資究明の記録」の取材班キャップとして新聞協会賞を受賞するなど、数々の特ダネをものにした名物記者だ。『高知』で社会部長、経済部長などを務めた後、2008年末に『朝日』に移り、特報チームを率いた。

 私は新聞労連JTC(ジャーナリスト・トレーニングセンター)の活動などで何度か依光記者にお会いしている。彼の話で特に興味深かったのが、特報部発足後、部の出入口ドアに「脱ポチ宣言」と書いた紙を貼りつけたエピソードだ。依光記者は『朝日』のメディア研究誌『Journalism』(2012年4月号)で、その経緯を次のように書いていた。

――新聞記者は記者クラブで取材活動をするうち、情報を得るために権力・当局の不祥事より当局の喜びそうな記事を書き、やがて当局の思い通りの記事を書いてしまう。そうして社内ではデスクの気に入られ、出世の道も開かれる。権力を監視する「ウオッチドッグ=番犬」であるべき記者が、権力の「飼い犬=ポチ」になってしまう。「脱ポチ宣言」は、「我々は決してそうはならないぞ」という決意を社内に宣明するものだった……。

 特報部が最初に手掛けたのが、「プロメティウスの罠」だ。「原子力=原子の火」をギリシャ神話の「プロメティウスの火」になぞらえ、福島第一原発事故にまつわるさまざまな問題を重層的に取材、それを生身の人間に焦点を当てて描いた。10月3日付の連載初日、記事は《「プロメティウスの罠」は、数カ月にわたり連載します》と書いたが、連載は読者の強い共感・支持を獲得、2016年3月まで約4年半に及ぶ異例の超長期連載となった。

 特報部の記者たちはこの間、フクシマの現場に通って被災者、原発作業員らに取材を重ね、信頼を得る一方で、首相官邸、東電、原子力安全・保安院の幹部など権力の暗部に食い込み、原発事故をめぐる隠された事実・真実を次々と掘り起こしていった。たとえば、住民の避難にとって不可欠だったSPEEDI(放射能拡散予測システム)の情報が、米軍には伝えられながら、なぜ住民には知らされなかったのか――。

 原発事故をめぐる深い闇に光を当てた連載は大きな反響を呼び、2012年度の新聞協会賞を受賞。さらに翌年には、巨額の予算を注ぎ込んだ「除染作業」で手抜き工事が横行し大手ゼネコンや関連企業がピンハネなどで「甘い汁」を吸っていた事実も暴いた。この「手抜き除染」のスクープは2013年度の新聞協会賞を受賞した。

 依光記者は当時の特報部について、前記『Journalism』にこう書いている。
《決まった仕事はないし、なにより全員が記者クラブに属していない。一騎当千の個性派が書きたいことを書く。超特ダネを狙う。組織であって組織でないような「一発狙いの飯場」と形容してもいい》


*「SAMEJIMA TIMES」(4/12付)

 実際、特報部の記者たちは社内だけでなく、他社・他業種からの移籍・転職組を含めて個性的な記者ばかりだったという。鮫島記者は3月19日付「SAMEJIMA TIMES」(以下、ブログ)で、そんな記者たちの活躍ぶりを詳しく紹介している。

 鮫島記者が取材班代表として新聞協会賞を受賞した「手抜き除染」報道で、取材の中心になったのが『北海道新聞』から移った青木美希記者だ。彼女は『道新』では仲間とともに北海道警の裏金作りをスクープし、新聞協会賞を受賞した。その後、『道新』上層部が道警に屈服して閑職に回され、『朝日』に移ったが、そこでも特ダネを連発した。『朝日』移籍後の活躍は、2月17日に放送されたレイバーネットTV特集「フクシマから10年――終わらせてはいけない真実」の中で、記者職を外れた現在も含めて語られている。

 ブログはその他にも、『週刊文春』出身の松田史朗記者、銀行員から転職した宮崎知己記者、日本テレビから移籍してきた渡辺周記者、『読売新聞』から移った市田隆記者、『下野新聞』から移籍した板橋洋佳記者など、依光記者の言う「一騎当千」の記者たちの活躍ぶりを紹介し、次のように記している(詳細はぜひ彼のブログを読んでほしい)。

 《特別報道部はまさに混成部隊であった。(中略)組織の垣根はなく、年功序列もなく、ノルマもなく、ただひたすらに埋もれた事実を掘り起こすことに専念する記者集団であった。さまざまな記者文化が交わり、さまざまな化学反応が起きた。特別報道部がなければ、来る日も来る日も顔を合わせて一緒に同じネタを掘り下げることなどおそらくなかったであろう記者と記者のつながりが、そこからたくさん生まれた》

 私はかつて30年間、『読売新聞』記者として過ごしたが、こんな熱い記者同士のつながりは、社内ではついぞ体験することなく終わった。うらやましい限りだ。


*レイバーネットTVに出演した青木美希さん(右)

●特報部の「牙」を抜いた「吉田調書報道」取り消し

 『朝日』の看板にもなっていた特報部が、なぜ廃止に至ったのか。その大きな転機となったのが、2014年5月20日付1面トップで報じられた《所長命令に違反 原発撤退》の記事(吉田調書報道)を同年9月11日、木村伊量社長自ら取り消して引責辞任し、関係者の処罰を宣言した不可解な「事件」だ。吉田調書報道は概略次のような内容だった。

――東電福島第一原発所長の吉田昌郎氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「吉田調書」を朝日新聞は入手した。それによると2011年3月15日朝、第一原発にいた所員約650人が書証の待機命令に違反し、第二原発に撤退していた。その後、放射線量が急上昇し、事故対応が不十分になった可能性がある。東電は、この命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた……。

 この記事が4か月後、社長会見でいきなり「誤りだった」として取り消された。そればかりか、取材にあたった記者やデスク、特報部長、編集局長ら6人が処分された。

 当時、デスクとしてこの記事を担当したのが鮫島記者だ。彼は3月30日付、31日付ブログで、吉田調書報道とその取り消しをめぐる経緯、事情を記している。その中で「見出しや記事の表現の一部に配慮に欠けた部分があった」と鮫島記者は書いているが、だとしても、記事は見事なスクープだった、と私は思っている。政府や東電が隠してきた原発事故をめぐる責任者の生々しい証言を報じたのは、調査報道のすばらしい成果だった。

 それがなぜ取り消され、記者の処分まで行われたのか。そこには外部からは見えない複雑な社内事情があったようだ(詳細は鮫島記者のブログを参照してほしい)。ただ、私はより大きな要因として、その当時、「慰安婦報道」などをめぐって安倍晋三政権や右派メディアなどが繰り広げた「朝日バッシング」が背景にあったと確信している。当時、『週刊金曜日』に隔週連載していた「人権とメディア」(9月26日号)で、私はこう論評した。

 《「朝日社長謝罪会見」が戦後の「ジャーナリズム史の分水嶺」となることを強く危惧する。それは、今回の『朝日』の対応が事実上、極右政治家と右派メディアによる集中・波状攻撃への屈服であること、その結果、もともと弱かった大手メディアのジャーナリズム精神がさらに衰退し、記者たちの「権力監視報道」への意欲を萎縮させる危険性をはらんでいるからだ。(中略)この「朝日叩き」で記者たちが萎縮し、権力監視に消極的になれば、「9・11」は日本のメディアが自爆し、雪崩を打って体制翼賛化する〈分水嶺〉となる》

 残念ながら、私の危惧は現実になった。鮫島記者のブログはこう書いている。
 《そのあとも特別報道部は存続してきたものの、リスクを冒しても「隠された真実」に迫るという看板はすっかり鳴りを潜め、事実上その生命は消えていた》(3月14日付)

 《すべては新聞社が「組織防衛」のため、いや上層部の「自己保身」のため、取材記者を処分して責任を転嫁し、「悪者」扱いしたことの帰結であった。これが調査報道に取り組む新聞記者たちをおおいに縮こまらせ、新聞ジャーナリズム全体を大きく萎縮させた。その後遺症は今もつづいている》(3月31日付)

 優れたスクープ記事を取り消され、処分までされた記者2人はしばらく後に『朝日』を離れた。この処分に絶望した特報部の記者の中から退職者も出た。そしてデスクを務めた鮫島記者もこの春、退社を決意し、ついには「特別報道部」自体も幕を閉じた。

 この数年、政権を震え上がらせるような大スクープと言えば、『週刊文春』と日本共産党の機関紙『赤旗』だ。その一方、首相官邸や国会に大量の記者を常駐させ、24時間体制の取材網を誇る新聞・テレビを中心とした大手メディアは、安倍政権下で強まった権力による情報操作、記者クラブを通じた報道統制にすっかり牙を抜かれたかのようだ。

 新聞では『東京新聞』、テレビではTBSの「報道特集」などが辛うじて健闘しているが、他の大手メディアは年々ジャーナリズムとしての機能を低下させている。今春の番組改編で、テレビ朝日の「モーニングショー」からコメンテーターの青木理氏、吉永みち子氏が姿を消し、TBSは朝の情報番組自体をバラエティ番組に変えてしまった。

 こんな状況だからこそ、大手メディアで頑張る「志を失わない記者」とともに、「市民メディア」の役割がますます重要になる。鮫島記者のブログやレイバーネット(TV)の存在を、より多くの市民に知ってほしいと思う。(了)

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