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2020年2月13日 (木)

植村邦彦「資本主義の終わりをどう生きるか」(2月16日 14時 大阪PLP会館)レジメ

2・16集会の講師レジメが届いた。かなり難しい話だが、極めて重大な提起。当日会場でもらう前に、事前に学習を、と思って一部事前公開する。


2020.02.16(大阪PLP会館)
資本主義の終わりをどう生きるか
植村 邦彦(関西大学)


1.現代の「隠された奴隷制」

1)長時間労働と過労死・過労自殺
①長時間残業の結果として1987年2月に急性心筋梗塞で過労死した広告代理店「創芸」の制作部副部長(43歳)が残した手記の言葉:「現代Img007 の無数のサラリーマンたちは、あらゆる意味で、奴隷的である。金に買われている。時間で縛られている。上司に逆らえない。賃金も一方的に決められる……。」(熊沢誠『過労死・過労自殺の現代史――働きすぎに斃れる人たち』岩波現代文庫、2018年、162-163頁)
②1989年11月に動脈瘤破裂のくも膜下出血で過労死した「株式会社きんでん」の下請け企業の電気工事士(46歳)が寝床で妻に「ぽつりと洩らした」言葉:「僕は奴隷かなぁ。」(同書、71頁)
③2001年12月に過労自殺した、オリックス株式会社厚木支店の女性総合職(26歳)が残した手帳の走り書き:「朝早くから夜遅くまで会社にいて、行動を管理され周囲から厳しいことが言われる状況の中で、それに対して「自分」がなくなってしまいました。/自分がどんな人間で何を考え、何を表現すればよいのかが分かりません。/もう少し強い自分でありたかったです。」(川人博『過労自殺 第2版』岩波新書、2014年、30頁)
④2006年6月に過労自殺した、小学校女性教員(23歳)が書き残したノートの文章:「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい。」(同書、83頁)

2)「強制された自発性」
①「ノルマの過重性―曖昧な労働時間管理―サービス残業。従業員の「強制された自発性」に頼るこうした日本的な企業労務は、その後1990年代半ばから、「個性を発揮する働き方」の名のもとに正当化されさえして、いっそう普及したかにみえる。時間ではなく成果を評価する裁量労働制が実質上「裁量」を享受できない一般社員に徐々に浸透したことも、この傾向に棹さしている。」(熊沢誠『過労死・過労自殺の現代史』、187頁)
②「企業の要請する過重労働が責任感のつよい働き手を死に追い込む。どのケースについてもそのことに企業労務は最大の責任をまぬかれない。とはいえ、現代の労働が言葉の厳密な意味において奴隷労働でない限り、過労死であれ過労自殺であれ、それらは働きすぎを要請する企業の論理に対する、労働者のいくばくかは自発的な対応の結果として現れるのだ。過労死・過労自殺は総じて、この「階級なき」日本の労働者になじみの「強制された自発性」から生まれる悲劇の極北なのである。」(同書、396-397頁)

3)新自由主義の思想――「自己責任」
①定義:「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。……さらに市場が存在しない場合には(たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを創出しなければならない――必要とあらば国家の行為によってでも。」(David Harvey, A Brief History of Neoliberalism, Oxford: Oxford University Press, 2005, p. 2. 渡辺浩他訳『新自由主義――その歴史的展開と現在』作品社、2007年、10-11頁)
②日本型新自由主義:「以上の民主主義、市場原理、法治主義という三つの基本理念の前提となるものが社会通念としてのパブリックマインドである。……パブリックマインドは、官・民という対立概念を越えるものであり、互いに協力し合ってよりよい社会をつくっていく上で、官庁・民間企業・消費者などの立場に関わりなく、国民の誰もが身につけていなければならない根源的な社会意識である。これを前提としなければ、透明性の高いルールと自己責任原則に基づく自由競争社会の健全な発展はありえない。」(経済同友会『こうして日本を変える――日本経済の仕組みを変える具体策』1997年3月27日、8頁)
③そもそも「責任」とは何か:「近代的道徳観や刑法理念においては、自由意志の下になされた行為だから、それに対して責任を負うと考えられているが、この出発点にすでに大きな誤りがある。実は自由と責任の関係に関して論理が逆立ちしている。自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会が宣言するのである。言い換えるならば自由は責任のための必要条件ではなく逆に、因果論的な発想で責任概念を定立する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない。」(小坂井敏晶『責任という虚構』東京大学出版会、2008年、156-157頁)

2.そもそも「隠された奴隷制」とは何か
1)マルクスの奴隷制論
①「綿工業はイングランドには児童奴隷制を持ちこんだが、それは同時に、以前は多かれ少なかれ家父長制的だった合衆国の奴隷経済を、商業的搾取制度に転化させるための原動力をも与えた。一般に、ヨーロッパにおける賃金労働者の隠された奴隷制は、新世界での文句なしの奴隷制を踏み台として必要としたのである。」(Karl Marx, Das Kapital [1867], Bd.1, in: MEGA, II/5, Berlin: Dietz, 1983, S. 607. 岡崎次郎訳『資本論』、
『マルクス・エンゲルス全集』[大月書店、1959-1991年]第23巻、991頁)

2)「責任感」対「並外れた意識」
①「自由な決定」と「責任感」:「自由な自己決定の――自由の――意識は、一方[自由な労働者]を、他方[奴隷]に比べてはるかに良い労働者にする。責任感[das Gefühl der responsibility]もまたそうである。というのは、同じ種類の他の商品販売者[=労働者]たちによって押しのけられたくなければ、どんな商品販売者もそうであるように、彼は自分の供給する商品[=労働力]に対して責任を負い、ある一定の質をもった商品を供給しなければならないからである。奴隷と奴隷所有者との関係の連続性というのは、奴隷が直接的強制によって維持される、そのような関係のことである。これに反して、自由な労働者は自分で関係を維持しなければならない。というのは、労働者としての彼の存在は、彼が資本家への自分の労働能力の販売をたえず更新することにかかっているのだからである。」(Karl Marx, Zur Kritik der politischen Ökonomie (Manuskript 1861-1863), in: MEGA, II/3.6, Berlin: Dietz, 1982, S. 2133-2134. 大野節夫他訳「経済学批判(1861-1863年草稿)」第6分冊、『資本論草稿集⑨』大月書店、1994年、375頁)
②「外観」としての自由・独立:「[賃金労働者の]個人的消費は、一方では彼ら自身の維持と再生産が行われるようにし、他方では、生活手段をなくしてしまうことによって、彼らが絶えずくり返し労働市場に現れるようにする。ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。賃金労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持されるのである。」(Marx, Das Kapital, S. 464. 746-747頁)
③不正:「労働能力[=労働者]が加工する原材料は他人[=資本家]の原材料であり、同様に用具も他人の用具である。……いやそれどころか、生きた労働そのものが生きた労働能力に対立する他人のものとして現れる。……労働能力が生産物を自分自身のものだと見抜くこと、そして自己の実現の諸条件[=原材料や用具]からの分離を不公正[Unrecht]――強制関係――だと判断すること、――これは並外れた意識であり、それ自身が資本主義的生産様式の産物である。そしてそれがこの生産様式の滅亡への前兆であるのは、ちょうど奴隷が、自分はだれか第三者の所有物であるはずがないのだ、という意識をもち、自分が人間であるという意識をもつようになると、奴隷制はもはや、かろうじてその人為的な定在を維持することしかできず、生産の土台として存続することができなくなってしまったのと同じである。」(Marx, Manuskript 1861-1863, S. 2237. 598頁)

3)「資本主義的生産様式の矛盾」
①1863-65年の『資本論』第3部草稿:「全社会がただ産業資本家と賃金労働者だけで構成されているものと考えてみよう。……しかし、実際には、生産に投下されている資本の補填のかなりの部分は、不生産的諸階級の消費能力にかかっているのである。(以下略、あとは会場で)

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