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2019年12月20日 (金)

アウシュヴィッツへのひとり旅(上)  加害と被害の歴史を訪ねて 山路 道夫~『未来』282号、283号

アウシュヴィッツへのひとり旅 第1回
加害と被害の歴史を訪ねて
山路 道夫

 

私はこの夏、定年退職を迎えて、自分へのご褒美をと思い、かねてよりヨーロッパを訪ねてみたい気持ちもあったので決断した。イタリアやイギリスを候補としていたが、私などが一般の方々と同様に単に観光するのは憚れると思い、ナチスとユダヤ人を始めとする〈加害と被害〉の歴史に触れることが出来るドイツ・ポーランドを選んだ。
英語のスピーチができないのに、少し無謀かなと思ったが、9月初旬、ヘルシンキ経由でベルリンへ。乗換後の機内で、1時間強で到着のはずがなかなか到着しないので、乗る飛行機を間違ったのではないかと不安になり、乗務員に尋ねたところ到着は現地時間の午後10時というので、ますます焦った(ホテルを見つけるのが難しくなるので)。ところが、しばらくすると、機は徐々に降下し始めたので一安心。間違ってはいなかったのだ。
テーゲル空港でベルリン中央駅行きバスに乗る。若い男性運転手の「いい加減さ」というか「鷹揚さ」というかには驚いた。彼の「料金は要らないよ。バイバイ」には、つい笑ってしまった。言葉が通じないので、面倒だったのだろうか?
ベルリン中央駅(写真上)では、現地に住んでいるという日本人女性に声をかけて、切符の買い方と乗り方を教えてもらった。驚いたのはのは、改札口がなくて駅員さんも見当たらないこと。これをカルチャーショック、というのだろう。乗り継いで午後8時をまわった頃、やっとホテルの最寄り駅に到着。すぐさま、行き交う人にホテルの場所を誰かれなく教えてもらった。街路は薄暗くて、なかなか見つからないので野宿も頭に浮かんだ。意識を変えて目印になる場所を教えてもらうことができて、9時半過ぎてやっと見つけた。まさに、ミラクルのようなもの。
くたくたになって探し当てたホテルは、ドミトリー形式で、ドイツの高校生が大勢泊まっていた。部屋へ案内されたが、非常扉の外側に1部屋だけ孤立したようにあったので、不安になった(普通内側にしかないだろう)。部屋の内カギが壊れていたので、フロントに行こうとしたが、今度は非常扉が開かず、またもやドキリとした。部屋には、電話もなく翌朝まで孤立状態か、と緊張状態に見舞われた。別の階に行きなんとか抜け出した。フロントでも私の要望をなかなか理解してもらえなくて難儀した。
ホテル内はどこか胡散臭いガードマンが巡回していた。2人組の警察官も、拳銃と警棒を身に着けて巡回。
一息ついてやっと、あれやこれやでぬるくなったドイツビールを飲んで就寝。
翌朝は午前4時に目が覚める。あと1~2時間は目を覚ましたくなかった。
最初に対応してくれたフロントの若い女性は好感が持てた。勤務を始めてまだ2日だという。容姿からすると移民系だろう。
朝のホテルの朝食は、前夜のことがあったので期待はしていなかったが、豪華なものはなかったのだが、意外とリーズナブルで満足できた。ホテル(ひと)は見かけによらない、のだ。
9月初旬のベルリンの朝の外気は肌寒かった。(つづく)

第2回
テロのトポグラフィー

 

到着日の翌日の午前中は、電車とバスを乗り継いでプレッツエンゼー記念館に向かう。「プレッツエンゼー監獄には、1933~45年まで反ヒトラー抵抗運動に参加していた市民が幽閉され、ここで2000人以上が処刑された。当時の処刑室の一部が残されている。……『ヒトラー独裁の犠牲者たち』が語り掛けてくる場所だ。」(地球の歩き方・ドイツ編)至近まで行き、周辺にいた人たちに訊いてまわったが、ついに発見できなかった。
断念して次を目指す。
午後からは「テロのトポグラフィー」だ。「ここはゲシュタポと親衛隊本部があった場所で、恐怖政治によるテロがおこなわれていた。当時、この住所への出頭命令は「死」を意味した。戦後は北側の通りに面してベルリンの壁が築かれた。」(地球の歩き方) 屋外には70枚ほどの写真パネル(英語の解説文)が展示されていた(写真上)。特に、ナチスに迫害されるワルシャワ市民の様子が目についた。すぐそばの小さな建物では、爆撃で焼け野原になったワルシャワを上空から撮影した映画が上映されていた。道路側にはベルリンの壁が残されていた。記念館では、ナチス関係の写真を多数展示。この日は、大型バスなどで来所した人達が引率者から説明を聞いている場面がいくつも見受けられた。
ドイツでは、自国がおこなった差別と抑圧の歴史的事実を絶やさず伝えていこうという強い意志を持ち続けているのが感じられた。
次に、ブランデンブルク門へ。「ドイツ古典主義建築の傑作」と言われているようだが、芸術に一家言も持っていない私でも「ドイツの芸術性」というものを感じざるをえなかった。最後に、文化フォーラム内の絵画館へ。絵画のことは分からないが、イタリア・ルネッサンスの絵画の模造品をかつて見たことがあり、ドイツの絵画も劣らず「グレイト(すごい)」なのが伝わってきた。
帰りは、道に迷いつつ、人に訊きまくって前夜のホテルへ。夕食は、他国の、居酒屋兼レストランで酩酊することになっては大変と安全コース。親父さんが一人で切り盛りする、スパゲティとピザの店でドイツビールを飲む。やはりうまい。その一方で、早々と米が恋しい。翌日、ベルリン中央駅駅中で、コメの上に肉と野菜をトッピングした「ライスボウル」を食べたら、元気が出た。ドイツ名産はついに食べず。ドイツの物価は日本と同じくらいか? もう一言付け足せば、路上駐車がやたらと多い。それに、タトゥー(いれずみ)が市民権を得ている模様で、ホテルで見かけた警察官も腕に彫り込んでいた。(つづく)

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