•沖縄戦で「集団自決」が起きた読谷村の壕チビチリガマが損壊被害
遺品粉々、子どもたちが折った千羽鶴も… 沖縄戦「集団自決」の壕、荒らされる
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- 沖縄戦で「集団自決」が起きた読谷村の壕チビチリガマが損壊被害
- 千羽鶴が散乱し遺品破壊、看板も遺棄され、誰がいつ行ったか不明
- 遺族会は「亡くなった人への侮辱」と怒り、被害届を検討する
72年前の沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起き、85人が犠牲になった沖縄県読谷村波平のチビチリガマが何者かによって荒らされていることが12日、分かった。入り口付近の看板は投げ捨てられ、子どもたちが作った千羽鶴は地面に散乱。今も遺骨が残り、遺族が神聖な墓と位置づける壕内の遺品のうち瓶やつぼも割られていた。生存者や遺族らは「亡くなった人への冒涜(ぼうとく)であり、許せない」と憤りの声を上げた。
◆数日内か
遺族や生存者からの証言聞き取りや平和学習の案内を続ける知花昌一さん(69)が12日午前11時ごろ、荒らされているのを確認した。
遺族会が通常の状態を最後に確認したのは5日。8日夕に訪問した際にも異変はなかったとの目撃情報もあるほか、引き抜かれた看板に付いた草が枯れていなかったことから数日内に荒らされたとみられる。
遺族会の與那覇徳雄会長(62)は、壕の中まで荒らされたことに対し「(犯人が)遺骨が残っている場所まで入ってきて、手をかけたことに怖さと怒りを感じる」と憤った。嘉手納署は12日、現場を一時封鎖して調べた。遺族会は被害届について、文化財指定する村と相談した上で提出する方向で検討する。
◆凄惨な記憶
1945年4月1日に本島西海岸に上陸した米軍は同2日、チビチリガマ周辺に侵攻。避難していた約140人のうち21世帯、85人が亡くなった。凄惨(せいさん)な記憶から遺族の多くは口を閉ざしていたが、戦後40年ほどたってから証言する人が出始め、「集団自決」の事実が明らかになった。
87年には入り口付近に建てられた「世代を結ぶ平和の像」が右翼団体の構成員に破壊され、遺族や彫刻家の金城実さん(78)らによる共同制作で95年に復元された経緯もある。凄惨な沖縄戦を象徴する場で、平和学習に訪れる学生も多い。
【ことば】チビチリガマ 沖縄戦で読谷村波平の住民が避難した壕。米軍が本島に上陸した1945年4月2日、避難中の約140人のうち、「集団自決(強制集団死)」などで85人が犠牲になった。現在は、平和学習の場として活用されている。
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