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2017年3月10日 (金)

なぜ教育勅語はいけないのか (下) ~あるみさんのブログより

  これについて、羽仁五郎が次のような有名なエピソードを上げている。「教育の論理 文部省廃止論」(講談社文庫1981年11月第一刷)p55~56より…
 そのすぐあとで、その高校の校長室に集まっていた教師の一人が、先生は先ほどの講演のなかで、教育勅語は日本の教育をゆがめていた、つまり教育勅語のために、日本の教育は本来の目的をまったく失ってしまっていた、と話されたけれども、教育勅語に書いてあることは、父母に孝行し、兄弟仲良く、朋友相信じ、夫婦相和し、というふうなことで、それがどうして悪いのだ、と質問した。
 そこでぼくはその教師に、あなたの専門はなにですか、ときいたら、かれは数学を教えていると言う。そうするとあなたは、朕思うに三角形の内角の和はニ直角である、となることに、別に異議はないのですか、ときいたら、それは困る、と言うのだ。三角形の内角の和は、天皇が思うからニ直角になるわけではなく、客観的に、合理的にニ直角になるのだ、と言う。ではそれと同じではないか。親に孝行し、兄弟が仲良くし、友だちがたがいに信頼し、夫婦が相和するということも、天皇が思うからそうする、ということでは困る。天皇が思わなければ、そうしなくてもいいということになる。そこに問題がある。この点が、教育勅語のいちばん重大な点であろう。
 教育を尊重しない教育勅語
 教育勅語の最大の問題は、道徳を天皇の権威の下においた、ということなのだ。道徳とか教育とかいう人間の問題に最高の価値をおいているのではなく、天皇が最高で、道徳や教育はその下の二級のもの、一段下のものとしているのだ。つまり、教育勅語は実は人間を、道徳を、教育を目的としておらず、これらの最高の価値を尊重していないのである。教育勅語の目的は、教育や道徳にあるのではなく、天皇制にあり、その下で教育や道徳の価値を考えているにすぎないのだ。これが最大の問題なのである。


 「教育勅語はスバラシイhappy01」と考えている森友学園、籠池理事長は小学校の認可・開業のためなりふり構わず政治家に圧力をかけてもらうように頼み、また中国・韓国人を差別し園児や保護者に対し虐待・暴言を吐く等、およそ「道徳」とは縁遠い存在である。また森友学園の教育方針に賛同してきた安倍晋三、昭恵やお友達の日本会議、ネトウヨもどき連中たちも、この問題が火を噴くにつれトカゲの尻尾切りを図り、全く関係ないかのごとく籠谷だけを悪者にする(オイオイ、「朋友相信じ」はどうなった)連中もまた「道徳」なんぞは鼻もひっかけていないだろう…しょせん「教育勅語」とはそんなモノなのだ。

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