« 裁判所は国家の暴力装置の一環か~9・16沖縄判決の示したもの | トップページ | 9・19集会での「これからのネットワークについて」の提案 全文再録 »

2016年9月21日 (水)

安倍政権と対立するアキヒト天皇の言動~しかし天皇メッセージの意図は天皇制の維持

 安倍政権の立憲主義を無視した暴走に対して、アキヒト天皇が「不快感」を示しているという「噂」は、各種の週刊誌などに散見する。先週号の『アエラ』には、安倍の戦争法にはっきりと反対を表明した歴史作家・歴史学者である、半藤一利、保坂正康、加藤陽子(東大教授)が、天皇と直接会い「質問に答える」ことを行っていると、出ている。特に保坂正康は少年時代の父親が関東大震災時、被災した朝鮮人をかばう言辞をおこなっため陸軍兵に銃床で頭を殴打され耳が聞こえなくなったことを書物にも記載し、戦時下・戒厳令下の軍隊がいかに無法な集団であるかの生き証人でもある。この作家がアキヒト天皇と歴史談義を行っているのである。
 他方で安倍の側近である日本会議系の「文化人」たちは、アキヒト天皇の希望である「生前退位」も「女性宮家・女性天皇」も認めない安倍路線を応援してはばからない。彼らは戦前軍部のように、天皇を元首にして自らの政治的行動の背景にしようとしており、これにアキヒト天皇が忌避感を示していることも明らかだ。
 生前退位のメッセージはこういうコンテキストの中から発生している。
 このことを踏まえたうえで、また80%の国民がアキヒト天皇の言動に賛意を示していることを踏まえたうえで、なおかつわれわれは、天皇制の廃絶こそが 天皇一族にとっても最も人間的な生き方・選択肢であることを表明し、その上で今回のメッセージの持つ意味考えてみたい。時どき引用する『未来』紙(207号)に、このことに対する見解が出ているので、紹介する。

焦点
象徴天皇制は「国民の総意」か
ビデオメッセージが投げかけたもの
~『未来』207号

憲法違反のメッセージ

8月8日、宮内庁は天皇アキヒトのビデオメッセージを公表し、各テレビ局によって一斉に放送された。約11分間のビデオでアキヒトは、「生前退位」への希望を明確にした。現行の皇室典範では、天皇の「生前退位」にかんする規定はない。1889年(明治22年)に裁定された旧皇室典範では、天皇の地位は終身であることが前提とされており、それが現在も引き継がれている。天皇の生前退位を認めるためには、皇室典範という法律の改正が必要となる。
憲法第4条では、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定している。今度のように天皇が「生前退位の希望」をテレビ放送を通じて「直接国民に訴える」という行為は、法改正を求める政治行為にあたり、明らかな憲法違反である。
8月8日のアキヒトのビデオメッセージでは、「生前退位」という言葉は使われていない。そこは憲法の規定に抵触しないよう「慎重を期した」ということもできよう。しかしながら、7月13日、NHKニュース7が「天皇が近々『生前退位』の意向を示す」と報道し、十分に世論の注目を集めた上でなされた放送であることを考えれば、このような策を弄することによって憲法違反の事実を免れることはできない。

「国民の総意」とは

さて、アキヒトのビデオメッセージが投げかけた重要な問題は他にもある。このメッセージで際立っていたのは「象徴」という言葉が8回も使われていたことだ。アキヒトは「象徴としての天皇の務め」を果すために「生前退位」が必要であると訴えたのである。これを受けて、議論が「象徴の務めとは何か」という方向へと流されているが、そこでは、天皇が「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であるということについて何の疑問も呈されていない。
憲法第1条では、天皇を「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であるとし、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。問題はここでいう「国民の総意」が、いつ、どのような経緯で形成されたのかということだ。
明治憲法では天皇は国家元首であり、統治権を一手に掌握していた。戦前の日本は天皇主権国家だった。1945年の敗戦にいたるまで、日本は天皇の権限によって諸外国にたいして戦争をおこなってきたのだ。戦後開かれた極東軍事裁判においては、天皇の戦争責任の追及が当然予想されていた。このときまさに天皇制は存続の危機にあったといってよいが、それでは当時の日本国民の中から天皇の訴追に反対し、天皇制の存続を求める広範な声が上がったのか。そのような事実はない。
憲法学者の奥平康弘は「僕は、連合国側が天皇制廃止を選択していたら、日本人は案外すんなりとそれを受け入れたに違いないと思う。そして戦後の日本は『天皇制をもたない新しい日本国』として、十分に成立したはずです」と述べている。(注1)しかし、そうはならなかった。
このとき天皇制存続のために重要な役割を果したのは、連合国軍最高司令官・マッカーサーと昭和天皇ヒロヒトの2人であった。

天皇とマッカーサー

マッカーサーは、46年1月25日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に宛てた書簡で「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れない。占領軍の大幅な増大が必要となり、最小限100万の軍隊が必要となろう」と書き送っている。マッカーサーは、日本占領を安定して進めるためには天皇の訴追だけは絶対に避けなければならないと考えていた。
46年1月1日、ヒロヒトは天皇の神格化を否定する「人間宣言」をおこなった。連合国にたいして、「今後一切、現人神・天皇のもとに数百万の軍隊を動員することはしない」と宣誓したのである。「人間宣言」の草案は実は英文だった。「人間宣言」はマッカーサーの意向に従ったものだったのだ。(注2)
次いでマッカーサーは、ソ連や中国を含む、極東委員会の第1回会議が予定されていた2月26日までに、①天皇制の存続、②戦争の放棄、③封建制度の廃止を3原則とする憲法改正の手続きを開始するために、GHQ民政局に憲法改正案の作成を指示した。極東委員会とは日本の占領政策の最高決定機関であり、ソ連や中国(中華民国)を含む11カ国が参加していた。極東委員会が発足すれば、ソ連、中国、イギリスなどが天皇制の存続に反対することは明らかであった。
民政局は2月3日のマッカーサーの指示からわずか9日間で憲法改正案を起草し、13日には日本政府に手交した。日本政府は22日、GHQ案の事実上の受け入れを閣議決定した。このとき翻訳されていたのは、第1章と第2章だけであった。(注3)
GHQ案の憲法第1条は、現行憲法第1条とほとんど同じである。このような新憲法の制定過程は、象徴天皇制が「国民の総意に基づく」ものではなく、マッカーサーによって「押しつけられた」ものであったことを明らかにしている。

「天皇外交」

こうしたマッカーサーの意向を当時の日本人の中で積極的に受け入れた人物が、ほかならぬ天皇ヒロヒトだったのである。ヒロヒトとマッカーサーは、45年9月27日の第1回会見を皮切りに、51年4月にマッカーサーが解任されるまで、11回にわたって会見をおこなっている。46年10月16日の第3回会見では、ヒロヒトが「戦争放棄によって日本が危険にさらされる」と危惧を表明したのにたいし、マッカーサーがこれを諭している。しかしヒロヒトの不安はこれで収まらず、翌47年9月には、沖縄における米軍の占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むという「沖縄メッセージ」をマッカーサーに送った。
さらに注目すべきは、サンフランシスコ平和条約と旧日米安保条約の締結にいたる過程でのヒロヒトの言動である。
米側が平和条約締結にあたってもっとも懸念していたのは、占領終了後も「われわれが望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるだろうか」(国務長官ダレス)ということであった。
これにたいして当時の首相・吉田茂は国会で「私は軍事基地は貸したくないと考えている」「単独講和の餌に軍事基地を提供したというようなことは、事実毛頭ございません」と明言していた。ところが天皇はダレスにたいして送った文書メッセージで、このような吉田の態度を批判し、「日本側からの自発的なオファ(提案)」というかたちをとれば米側の懸念も解消できると書き送ったのである。
51年9月8日、平和条約と同時に締結された旧安保条約では「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国にたいする武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」となっている。「日本国の希望」で米軍の無制限の駐留を認めたのだ。これはヒロヒトの意向と100%合致するものであった。

天皇制の存否を問う

このように憲法の規定をないがしろにする「天皇外交」にヒロヒトを駆り立てたものは何であったのか。政治学者の豊下楢彦はそれを「米軍による『国体護持』という安保体制を確立するため」(注4)であったと分析している。
米軍の占領政策に積極的に協力し、戦争責任を免れ、日米安保体制という米軍による「日本占領」の永続化によって守られてきたのが天皇である。日本の侵略戦争にたいする責任を不問に付すこうした政治システムが、東アジア諸国人民との間で未だに深い溝を残す原因となっている。また沖縄人民にたいして耐え難い苦痛を現在も強制し続けている。
このような天皇をいつまで「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」として押し戴きつづけるのか。天皇のビデオメッセージをめぐって問われなければならないのは、「生前退位」の是非ではない。アキヒトを最後の天皇とするのかどうか、すなわち天皇制の存続の是非である。日本人民の主体的な選択が問われている。
   (汐崎恭介) 

(注1)奥平康弘・木村草太『未完の憲法』(潮出版社2014年)
(注2)矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル2014年)
(注3)古関彰一『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫2009年)
(注4)豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫2008年)

 

世直し・社会変革 - 政治ブログ村

 愛読ありがとうございます。スマホ、アイフォンからも応援していただくことができます。(画面をPC設定、デスクトップ設定などにしたら順位がわかります。)
上 の
ークを強く押してくださいせ。

☆cc

« 裁判所は国家の暴力装置の一環か~9・16沖縄判決の示したもの | トップページ | 9・19集会での「これからのネットワークについて」の提案 全文再録 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1545696/67591190

この記事へのトラックバック一覧です: 安倍政権と対立するアキヒト天皇の言動~しかし天皇メッセージの意図は天皇制の維持:

« 裁判所は国家の暴力装置の一環か~9・16沖縄判決の示したもの | トップページ | 9・19集会での「これからのネットワークについて」の提案 全文再録 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フォト
無料ブログはココログ