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2016年8月11日 (木)

8・6ヒロシマ報告記~関西合同労組ブログより

 

■8・6広島に行ってきました。新長田から朝5時過ぎの始発電車に乗って、青春18切符で広島に11時過ぎに着きました。広島焼きを食べて平和公園に。外国の人を前に高校生が紙芝居を英語で演じたり、弾き語りや、ベトナム帰還兵のアレンネルソンさんを描いた1人芝居、若い学生が外国からの人々の案内をする姿などさまざま。
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時からは平和の夕べに参加、被爆者の方の体験談や、福島からの避難者で東電への裁判の原告団長の話し、被爆の歌、フルートやピヤノ演奏などが、ありました。被爆者の池田精子さんは死の淵から抜け出した後の病気とケロイドへの差別から自死へ追いつめられながらも、両親の愛情に支えられて生きることができたこと、アメリカでの講演で、ハイスクールの男性が「原爆は戦争を終わらせるためと学んできたが、何も知らなかった。私の国があなたたちを苦しめてごめんなさい。」と抱きしめてくれた話、何度も政府に足を運び、ビキニで被爆した久保山愛吉さんらと共に原水禁第1回世界大会にこぎつけたこと等、静かな口調に思いをこめて語られた。
  福島から避難された森松さんの話は、広島の被爆者の方々の体験・闘いがあったからこそ福島から避難できたこと、広島と福島がつながっている事の意味を深く考えさせられる話でした。組合から6名が参加しました。サウナに泊まって、翌朝は、勤労奉仕中の広島二中お兄さん(8月6日の朝日新聞の「天声人語」が、広島二中の生徒たちに言及)を亡くした竹田さんの案内で、30人の人たちと、平和公園の案内と資料館のお兄さんの弁当箱を見せてもらいました。
 今回はじめて朝鮮人被爆者の碑を訪ね、峠三吉の碑や正確な爆心地の島病院や、唯一残ったアオギリの樹など見ることができました。「太き骨は先生ならむ                  そのそばに小さき頭の骨あつまれり」の国民学校の碑が涙を誘いました。疎開できなかった小学校2年1年の子らの亡骸をうたっています。この碑の後に見たオバマが折った折鶴が、実に虚しく見えました。夕方はじめて灯籠流しを見ました。





 

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