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2014年4月 5日 (土)

今年の満開の桜を見ずに逝った沢貞安さん

 竹内まりやの名曲に『人生の扉』がある。世代を積み重ねるうちに、時や自然の移ろいをいとおしく思い、あと何回見ることになるかを考えるというものだ。その2番の初めは「満開の桜や、色づく山の紅葉を、この先いったい何度、見ることになるのだろう」である。桜の命は短く、満開から緑の青葉がのぞくようになった。
 この満開の桜を見ずに、この春に黄泉路に旅立った人がいる(と言っても本人は花見など世俗的なことは嫌いだったが)。沢貞安さん(元神戸反戦事務局長、69年関西反戦被告団長)。兵庫高校から60年安保闘争を三重大で闘い、68年から神戸反戦事務局長、6931神戸大「リンチ」事件で知られ、6911月決戦で逮捕され71年に保釈となる。その後75年頃に運動世界から離れるが、革共同関西での2006314決起には支持を表明し、その後の歩みを暖かく見つめてくれていた。享年72歳、もう少し運動を見守っていてほしかった。

 筆者との付き合いは、69年夏ごろから数年。その後は会ってなかったが、最近筆者の書いた文章などに、常日頃は辛口なのだが、年をとったのか丸くなり暖かいコメントを加えてくれていたと聞く。69年に何回か集会に行くうちに、兵庫区小部大東の住所の彼の名で手紙が届くようになった。「スカイブルーの神戸反戦のもとに集まれ!」と。直接会うのは保釈後からだが、70年初夏の浦和地裁選挙闘争支持共闘結成時の、獄中からの熱いメッセージを今でも鮮明に覚えている。直接運動の指導を受けたわけではないが、大所高所からアドバイスしてくれ、「あだ名」も含め、いろんな出来事が記憶に残っている。
 彼のことを語るには、60年代末の反戦青年委員会運動の総括に深くかかわる。当時全共闘とならんで反戦青年委運動が全国的に大きく影響力を持ち始める。その中でも職場か街頭かなど激しい論争が続く。68年秋以降の革共同(中核派)は、6911月決戦に向かって、白ヘル反戦・党派反戦に大きく傾斜。この時神戸反戦事務局長として登場し、11月決戦の関西被告団長となる中に彼の存在が示されている。この党派反戦移行に対して、竹中明夫関西地方委議長は反対を唱え、革共同から排除されていく。
   75年ころに運動界から離れた事情は知らないが、対カクマル戦争と、そのもとでの運動・組織づくりをめぐってであることは想像に難くない(単純に賛成・反対という次元を超えて)。これも含め、要するに67108羽田闘争から75年に至る過程を今日的にどう総括するか、ということになるのだろう。彼自身は二度と運動には首はつっこまなかったが、自己総括も含め膨大な書籍を読み漁っていたと聞く。
  3月下旬のある日、49日の納骨ということで、何人かに交って私も初めて小部大東の実家を訪ねた。今は北区の小高い地で、古風な趣が残り、幕末期なら豪農・庄屋からの志士が生れそうに思えた。弟さんは神戸の事務所を訪ねたと語ってくれ、運動の話にもなり、高校の同級生は盛んに「彼は硬派だった」と語り、みんなは「下駄をはいてのステッカー貼り」を思い出し、膨大な蔵書のことも話題になった。 2012年末の吉岡さんと言い、今春の沢さんといい、まぎれもなく一時代を切り開いた革命家であった。志は半ばだが、私たちは彼らの思いを受け継ぎ、彼らは私たちを暖かく見守っていてくれると思う。(K・M)

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