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2014年3月28日 (金)

3・11以降の社会運動を考える⑤

 「3・11以降の社会運動を考える」シリーズは、これまで本の紹介という形で、論点を提起してきたが、今回は別の角度から論じてみたい。それは3・11以降の社会運動を全般を賛美するつもりはないが(同時に、3・11以前の運動をすべて否定するつもりもない)、それまでの「左翼」「革新」運動が大きな限界を持っていた、間違いを犯してきた、それを克服することなしに今後の社会運動はないし、新しい世代の運動は新たな運動組織論をもってどんどん前に進んでほしい、という観点からである。
 3・11以前の運動の破産は、今日的にはそれ以降の運動が官邸前の数万の運動をはじめとする脱原発運動が持続し、現在この国では6カ月半にわたって全原発を止めているという社会的力を承認することである。別の角度からいえば、3・11以降に衆議院選・参議院選・都知事選という極めて重大な選挙がありながら、左派・革新・リベラル陣営は敗北を重ね、安倍改憲政権の誕生とその流れにストップをかけられていない現実を生み出したことである。世論は6・7割が脱原発で、現実に1基の原発も動いていないのに、「即時ゼロなど非現実的」と言われて、勝てないことである。それは多分にこの運動・選挙を「主導してきた」左派・革新勢力(市民運動も含む)の政治的力量の無さに尽きるのである。(当ブロガーなどの責任は微々たるものとはいえ、都知事選の分裂など、社会運動全体の責任であろう) 
 要するに、これまでの左翼のセクト主義(政治主張・スターリン主義的組織論など)・民主主義感覚の欠如が、これからの社会運動に適応できないことの具体的反映なのである。多くの人々が、さまざまの次元でセクト主義の克服を(党派利害より大衆運動・共同闘争の利害を上位におく、組織運営上の民主主義の貫徹、引き回しや囲い込み運動をしないなど)呼びかけ実践してきたが、まだまだその克服には道半ば・時間がかかる・実践的克服が必要、ということである。
 本題に入る。三つある。
 一つは政党・政治党派(労働組合も含む)のセクト主義の徹底した克服である。この分野ではかなりの進歩があると思うが(大衆的共同闘争の場で、セクト的利害を主張すれば、ほぼ無視され、相手にされなくなる)、それでもその上に本格的な大衆闘争の構築とそれを体現する群像・リーダーたちの大量の輩出ぬきに、この病の克服とはならないであろう。
 二つはそれでも大衆運動を党派的囲い込みの場としてしか考えないセクトがあるが、この集団は急速にカルト化し、大衆的決起とは無縁になり、自己運動の世界に入りつつある。初めて運動に参加する人にとっては無視と、そのセクト主義・カルト性を直ちに見破る免疫力である。(この免疫力の有無は、大衆感覚・人権感覚の有無とも共通し、無い場合は結局運動に悪影響しか与えなくなる)
 
 三つめは市民運動にもある逆セクト主義・超個人主義である。逆セクト主義というのはセクトに対する反発というより、運動の持つ課題や困難・問題点をセクト一般に求めるあり方である。もちろん政党・政治党派の問題性の方がはるかに大きいので、その批判は正しい場合が大半であるが、その際に政党・セクトを即全否定するありかたである。良くも悪くも社民党や共産党やセクトというのは社会的存在としてある。批判と克服は共同事業だが、即克服を求めるのは、主体的変革抜きのある種上からの強権「革命」で、これこそスターリン主義と類似しているのではあるまいか。
 その上でのこの三つの課題の克服が問われている。一番目はこれからも批判的に論じ、二番目は無視を貫く、三番目は共同闘争の中で課題化し対象化し、実践的に克服していくことである。また新しい運動の中に新しい理論や運動組織論を生みだす努力である。その際の基準は、徹底した民主主義的討論の積み重ね、困難な課題(どんな運動でも必ず発生する)の対象化・鮮明化と解決への地道な努力、即解決できない課題の継続的討論、さらには情報の共有化、運動によるいくつかの「勝利」の蓄積、そして自己変革と対象変革の具体的進行などである。文章化すると難しく見えるが、参加者が意見を言え、その提言が運動の前進につながり、自己変革も進み、運動が社会的力を持っていくということである。
 その対極に市民運動の中にも、古い「有名人」が現実の困難・現場の運動に密着せず、一のセクト主義的残滓を引きずりながら、批判に向き合わない(批判を自己変革の契機と考えられない)「指導者」も、残念ながらいることも事実である。市民運動一般が正しいのではなく、自己変革と対象変革を絶えず課題化できる市民運動が、3・11以降三年の運動の中から、さらに飛躍していくとき、この国の社会運動全体の変革が進むのではないか。(言葉でしゃべり、具体的対象をあげて討論すれば、もっとわかりやすいのでしょうが、当ブロガーの非力でこのような文章になりました。引き続き「本の紹介」などの形をとって、「3・11以降の社会運動を考える」を続けていきます。意のあるところ汲み取って下さい。)

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