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2012年3月28日 (水)

本の紹介 中公新書『高校紛争』~文句なしに面白い68年・69年の高校生の反乱

Scan1002750_2  2月末に、『高校紛争』という、1968年~71年の高校生の反乱を扱った新書が出た。直ちに読むとともに(一晩で読める)、当時の大阪の高校生運動を知る何人かに勧めた。いずれも自分の高校のことなどが、ほぼ事実として書かれており、面白く読んだという感想をもらった。
 
 面白さの第一は、大学闘争ー学生運動と違い、わずか4年余りであるが大学闘争以上に全国の高校を席巻したこと、党派の指導がなくても各地の高校生は自分で考え、自分で行動し、そしてそれぞれ過酷な責任を負わされ、その後の人生を歩んだこと。それは現在アメリカを席巻するオキュパイ運動に通じるものがあるからではなかろうか。
 もちろん全共闘運動もそのような側面があり、これについては各種の本が書かれているが(当事者の思い入れが強く、あまりたいした本はない)、高校生運動では全国の運動を網羅した本がなかっただけに、この本は出色のできであると思う。
 
 
面白さの第二は、全国各地の高校が登場するが、私の知る範囲(大阪・兵庫の高校生運動)から類推するに、直接は知らない札幌や仙台・東京、さらには佐世保の出来事も、ほぼ事実に近いと思う。とりわけ、大阪の大手前・市岡・付属池田などとなると、ごく近くに関係者もおり、ほぼ事実に即して復元されていると思う。もちろん取材と文献によるため(筆者は1960年生まれ)、その取材対象・文献に規定された偏りは一定あるかもしれないし、記録として残らなかったことも多々あるわけで、これで完全とは言えないが、300ページほどの新書としては、実によくできていると思う。

 さて、最大の問題は、党派の問題と、党派に包摂されない運動の関係である。それは反戦高協、とりわけ大阪の反戦高協の運動に凝縮されていると思う。反戦高協といえば通例中核派の高校生組織のように思われがちだが、極めて大衆的で戦闘的な組織であり、各学校ごとの自主性・主体性が尊重された組織であったとある。知人に聞くと実際そうであったし、また課題も政治テーマから校則・スリッパにまでいたり、その中で15~18歳の世代が時代と格闘しながら自己形成していく。
 この自主性・主体性が尊重される中で、大阪の高校生の中に相当な影響力が行使されていく。この自主性が権力の弾圧と、時代的制約と指導党派により(69年11月決戦に中核派は高校生も含め全組織をかけた)、損なわれていく。それがあまりにもごく短期間であったため、これまでほとんど検証されることがなかったといえる。(数年前に中村雅俊主演で上演された『僕たちの好きだった革命』は、「山崎、結局時代に負けたんだよ」で結ばれる。ちなみに主人公=山崎義隆は大手前高校の山本義隆と山崎博昭から合成した名) この点は作家・三田誠広などでなく普通に運動を担った関係者の証言(もちろん清算的でなく、今後の運動につながるもの)で、深められることを期待したい。
 
 
ちなみに評者は反戦高協ではないが、佐世保闘争あたりから時代の影響を受け、68年高校3年時は、生徒会や体育祭の運営をめぐり団交が行われ、卒業式闘争は頓挫したが、卒業アルバム(69年3月)には「安保粉砕」の文字が躍っている。もちろん田舎のことでどの組織ともつながりはなく、この本にも出てこないが、ゆるやかなフラクションは形成されていた。このような高校生が全国で勝手に「反戦高協」を名乗り、中学生でも「高校になったら反戦高協」と考える子がいた(当時の『前進』には中学生の投書が何通か載っている)ほど、社会的広がりをもっていた。
 
この高校生運動が、なぜかくも全国を席巻し、どのように社会に影響を与えていったか、そして挫折していったかは、この本でもまだまだ検証されてはいない。それは本書に出てこない無名の人々の人生の終末期の今後の発言と、本書に出てくる坂本龍一や高橋源一郎や村上龍や、出てはこないが沢田研二たちの今後のいきざまが、一つの検証装置になるかもしれない。

 他方で、これらの運動を指導した政治党派の否定的側面を逆証明した本として、『全学連と全共闘』(平凡社新書)がある。この本がダメということではなく、同じ世代の(1961年生まれ)の筆者が新左翼運動全般を扱ったこの本は、新左翼運動の問題点が、最も頻繁に登場する清水丈夫(60年安保全学連書記長、70年時は中核派指導部)という人物を通じて、如実に判るようになっている。もちろんこの問題の克服は後だしじゃんけん的批判ではなく、評者自身の今現在抱える課題の克服として、詳しくはまた別個に提起したい。

 ともあれ省みられることのなかった68年・69年の高校生の反乱を、今日のオキュパイ運動を考え、自立した共産主義者の新たな共産主義論(運動組織論)のとらえ返しとしてこの本を読むことは、懐旧的意味でなくすぐれて今日的意味があると思う。ぜひ一読を勧めたい。(Q)

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コメント

小林哲夫の近現代史改竄本の骨頂はこの一冊だと思える。
高校の騒動で迷惑した当事者として、このようなデタラメな過去史の摘み食いは百害あって一利なしと言わざるをえない。
私よりも8歳も年下の小林哲夫にあの時制の状況がバイアス抜きに透けてくるはずがない。
なにが《ほぼ事実》なものでしょう。仮想現実よりはるかに罪深い真似だと思います。

《党派の指導がなくても各地の高校生は自分で考え、自分で行動し、そしてそれぞれ過酷な責任を負わされ、その後の人生を歩んだ》とのくだりですが、これをよほど善意で解釈してみても誤解を招き次世代には錯誤に導くおそれは多分に生じます。

党派の指導もマヌーバーも間違いなくありました。
戦術の様相も、どの公立高校もそろって同じような時期に同じようなタイミングで似たような真似をしていたのです。そのどこに《自分で考え、自分で行動》した事実があったでしょうか。嘘をつかないでほしいと思います。当時紛争校内部にいた一人のノンポリ高校生だった資格でそこは切実にお願いしたいものです。

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