稲村尼崎市長の、朝日新聞でのウソ八百を弾劾する
朝日新聞3月28日づけの政治時評2012に、稲村尼崎市長が全面に登場し、知らない人なら本当かと思うウソ八百をならべている。たいがいの人は、稲村市長の橋下大阪市長評価に驚いているようだが、これはすでに2009年の時点で批判済みなので、今回はあまり触れない。
ただ橋下のやっていることは、労組敵視、教育破壊にとどまらず、業務命令での「アンケート」と称する思想調査は、憲法に保障された良心の自由、思想信条の自由の破壊(基本的人権の侵害)で、労組法違反でもあり、労働委員会から異例の中止勧告が出たほどだ。また「大交の選挙支援リスト」を騒ぎまくったが、捏造が発覚した。民主党のかの偽メール事件以上だが、橋下の下では誰も責任を取らないし、マスコミも追及しない。
教員が「君が代」を歌わないと「ルール違反」で懲戒処分というが、自分は法律家でありながら憲法や労組法を遵守をしない(ちなみに稲村さんも法学部出身ですから、労組法や労働委員会制度程度は知っていると思うのですが)。 このような事実を前にしても、橋下を賞賛し、また小泉構造改革を賛美する。ようするに、事実を事実として評価するのではなく、どちらの側に立ってものを言っているかではないのか。それは99%の労働者・市民の側ではなく、米倉経団連会長ら1%の側である、このことを押さえておきたい。
さて後半では、「地方からの成功体験の積み上げ」と称して、知らない人には本当かと思われるウソ八百をついている。「市長は市民の声を直接聞いて、政策に生かす」~開いた口がふさがらないとはこのことである。労働福祉会館の問題に1年半係わり、あらゆる会合に出てきたが、市長は一度も市民の前に出てこなかった。2011年4万6000筆、2012年1万2000筆の市民・利用者の声に一度でも向きあったのか。何度も何度も行われた「市民説明会」のどの会場でも、ただの一人も廃止賛成の声が出なかったことを、知らないのだろうか。どの口から「市民の声を直接聞く」といえるのか。2枚舌なら、1枚をエンマ様にぬいてもらえばよい。
「民主主義が進化、深化するには、情報が共有され、整理」されることが必要というが、労館問題では一貫していたのは、「老朽化・財源がないから廃止」であった。だが最後に出てきたのは、(日曜92%の利用率の労館ホールの機能をひきつぐ)ホール機能をもった23億円の新施設の建設だ。財源問題では利用者一人当たり213円の労館を廃止し、1449円かかる施設を残すことが最後に暴露された。これでは、都合の悪い事実はふせ、あとでメルトダウンだったという、原子力行政・東電と同じではないか。どこが「順序だてて合意形成」だ。
最後に「地方の自治体から政治を変えていこう」「信頼を修復し、成功体験を積み上げ」というが、今回の労館問題のどこにそれがあるというのだ。離島や地方出身者が寄る辺を求めて集う場所、労働者福祉行政の拠点、としての労館。それを一方的に廃止して、市民との間に、「信頼が修復」されたのか。
労館問題の底にあるのは、橋下市長と同様に「労働者」や「福祉」が嫌い、そのためなら「日の丸」条例を出す保守系会派=新政会とも組んで条令案を通す、ということではないのか。労館廃止条令はそのようにして可決された。「市民自治」などというきれいな言葉を使うのでなく、「市民は4年に1回投票。その間はつべこべ言わず、市長に任せなさい。私が民意。」と言ったほうが、よっぽど首尾一貫しているのではあるまいか。
最後の最後に、事実の裏もとらずに、たかがこの程度の主張とはいえ都合の良い一方的主張をたれ流す、「朝日新聞」や、「地方からの民主革命に期待する」という東大教授なる人物も情けない限りである。地方の民主革命は、アメリカのオキュパイ運動や、選挙だけに頼らない脱原発運動ですでに始まっているではないか。もし朝日に気骨があるなら、清武の主張も、ナベツネの主張も平等に載せたように、労働福祉会館存続を求める人の主張も載せたらフェアと思うが、どうだろう。
そんな期待より、このブログのアクセス数が朝日を超えることを期待するのが、民主主義の成熟かも知れない。乞う、アクセスを。(さらに詳しい全面的な稲村市長批判は、4月5日発行の「センターだより」に載せます。こちらも乞う、ご期待)
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